とびうお漁師の年収 20年前屋久島の場合 本人談

とびうお漁師の年収 20年前屋久島の場合 本人談

 まずはじめに、こちらにご紹介するデータは古いですが、正真正銘の本物です。なぜなら、私はかつてとびうおの漁師をしていたからです。今現在、あごだしのブームで長崎が賑わっていますが、世界遺産の島、屋久島でもとびうお漁は盛んです。こちらにご紹介するデータは、かつて屋久島に移住し、とびうおの漁師で生計を立てていた私の物語です。


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行ってすぐに30万円!

 私は屋久島に移住し、とびうおの漁師をはじめました。その時の計算(もらうお金は計算と言っていましたので、計算で統一します)は30万円でした。この位毎月もらえれば生活して行けるな、と確信しました。ところが、その先は尻すぼみで、だんだんと計算は少なくなって行きました。

夏には一桁に

 屋久島に行ったのは2月でしたが、その年の夏には一桁になってしまいました。計算は所得税だけは源泉で引かれていますが、その他の保険年金税金は自分で支払わなければなりません。とびうおの漁師になる前はサラリーマンでしたので、そこそこの所得があり、応じた税金が来るとは思っていましたが、この状況では払えないな、と思いました。

台風

 屋久島にはたびたび台風が来ます。また、海が時化て、波の高さが3メートル以上になってしまうと、漁は休みになります。平均すると毎月15万から20万位でした。悪い時は一桁で、いい時は一度だけ30万円を超えたこともありました。

値段が安かった

 私がいた時、あごだしブームはありませんでした。屋久島のとびうおはかつては値段も高く、私の親方は奄美から屋久島に出てきて、船を買い、とびうおの漁師をしていました。屋久島の歴史を見ると、様々なバブルがありました。一緒に船に乗っていた人が教えてくれましたが、かつては山から杉を切り出しており、そこで働いていた人たちは休みになると焼酎の一升瓶を片手に、町へ繰り出していたと言います。とびうおも私が行っていた頃よりも景気が良く、家を建てた人がかなりいます。その頃に比べると、かなり価格が落ち込んでしまい、生産調整をしなければ価格が安定しないなどの、そろそろ危ない状況が見えてきていました。親方は、これからは自分たちで販路を拡大したり、直販を考えたりしなければならない時代が来る、と予言していました。

とんでもないバブル

 今、長崎の「あご」に起きている状況はいつまで続くのでしょうか?ラーメンは日本で廃れることはありませんし、だしを取る文化も、紙パックが発売されたことによって簡単になりましたので、今後を予想したときに、減ることはないでしょう。この長崎で起こっている「あごバブル」は、もしかすると本物、長続きするかもしれません。あの、使われている一番小さなとびうおは、私が漁師だった頃は、価格が安くてどうにもならないと言われていたとびうおでした。それが今、様々な姿に加工され、全国で消費されるようになって来たのです。一儲けしたい人は、長崎や屋久島の漁師の門を叩いてみてはどうでしょうか?それ以前に、ご自身の身体は船酔いしないかを、まずは見極めることをお勧めします。とびうお漁師の中には、どうしても船酔いが収まらず、薬を飲みながら漁をしている人がいました。まずはこの点を確認してみましょう。


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